蛸壺の思うツボ

マンガを読むのが映画を観て生きる

パッヘルベルのカノンに縛られる

  「あげくの果てのカノン」のネタバレ

 

 

あげくの果てのカノン最終巻を読んで思うのが、「パッヘルベルのカノン」は愛に縛られる曲であるし、そう思ってしまうのが90年代後半オタクの性である。

 

 作者の米代恭は1991年生まれであり、部活もオタサーであったところから、90年代、00年代のオタク文化と共に成長してきたことだろう。

 

 90年代後半といえばどうしてもエヴァになってしまい、逃れられない。

 1995年に放送し、その後劇場版で完結するエヴァは、1997年の3月に、テレビシリーズの再構成という形で「シト新生」が公開されるが、それのDEATH編では主人公碇シンジが、渚カヲルに愛の呪縛をかけられるラストで締め括られる。

 

 シト新生DEATH編のエンドロールでは、「パッヘルベルのカノン」が流れる。それぞれのキャラクターが楽器を弾き、最後には美しい旋律となる。私はこの曲を聴くと、どうしてもシンジとカヲルを思い出す。それはエヴァにかけられた呪いである。

 

 

 

 「あげくの果てのカノン」のラスト、先輩は修繕で記憶を殆ど失っている。初穂はそれに気付き、自分の初恋に終わりを告げようとする。

 その時「パッヘルベルのカノン」が流れる。互いが出会い、認識し合った時のあの曲が。

瞬時に二人の記憶が目覚め、共有する。初穂は先輩の表情の変化を見逃さなかった。

 

 90年代後半に縛られている者にとって、「パッヘルベルのカノン」は記憶のトリガーである。それは呪縛であり、呪いである。