蛸壺の思うツボ

マンガを読むのが映画を観て生きる

GRIDMANの中のGAINAX

グリッドマン9話ネタバレ

 

 

 

 誰が何と言おうと超絶クールなアニメ『SSSS.GRIDMAN』であるが、今回の第9話はMAX尖りであった。

と言うかガイナックスの地脈であるのかむしろ庵野フォロワーであるが、絵コンテ五十嵐海と演出金子祥之による若手の未来を見たのであった。

 

 タイトルが「夢想」である9話だが、そのタイトルの通り夢の中のような世界で自身に気付き、正義としての目的を再確認するターニングポイント回、その中で童謡「むすんでひらいて」が流れているシーンがある。

 

 ここで発動されるのがエヴァの呪縛、抗えぬSAGAである。

 

旧劇場版エヴァにて人類補完計画が発動、シンジの精神世界が描写されるが、その際のBGMが同童謡であり、すぐに気付くのだ。

 

 

今回のグリッドマンは:夢なんだなと。

 

旧劇との比較は容易ではあるが、グリッドマンには、新世代のオタクのリスペクトに溢れており、それが同世代としては多幸感なのだ。

 

 

 

 

話は変わるが、イップマン継承がNetflix配信されていたのでみんな見るべきなんで眼を覚ませ僕らの地球が何者かに狙われてるぞ!

 

 

90年代という表現の「愛と呪い」

 マンガ家ふみふみこの新作「愛と呪い」を読んだ。

 

現在、80年代の魅力が「面影」として10年代を支えているように感じる。

 それは80年代に青春を送ってきた現在の40代から50代のパワーが、社会の中心になっているところもあるが、ネット社会のフラット性もそれを享受できる要因である。

 

次々と80年代の名作がリブートされ、昇華されていく。

作家たちも、様々な形で80年代を表現していく。

 

80年代は懐かしい、だからこそ映える。

 

 40~50代が80年代の幻影を作るように、90年代に青春を送った現在の30代後半は、その時代を追憶せざるおえない。それは、現状の80年代感を十二分に楽しむ世代への嫉妬でもあるし、必然でもある。人格形成に多大な影響を与えた期間を、理解し受け入れ、他の世代に伝えないといけない。

 

90年代には「オウム」があり「震災」があり、「少年A」があった。

 

バブルが崩壊し、就職氷河期のあの頃の閉塞感は何であろうか。

 

「愛と呪い」では時代の大きな流れの中で、影響されていく主人公が描かれる。ふみふみこの半自伝的であるそうだが、この気持ち悪い世界から主人公は光を見つけることができるのであろうか。

 

 記憶の反芻はリハビリである。

 

それは毒を飲み、受け入れ、同化する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パッヘルベルのカノンに縛られる

  「あげくの果てのカノン」のネタバレ

 

 

あげくの果てのカノン最終巻を読んで思うのが、「パッヘルベルのカノン」は愛に縛られる曲であるし、そう思ってしまうのが90年代後半オタクの性である。

 

 作者の米代恭は1991年生まれであり、部活もオタサーであったところから、90年代、00年代のオタク文化と共に成長してきたことだろう。

 

 90年代後半といえばどうしてもエヴァになってしまい、逃れられない。

 1995年に放送し、その後劇場版で完結するエヴァは、1997年の3月に、テレビシリーズの再構成という形で「シト新生」が公開されるが、それのDEATH編では主人公碇シンジが、渚カヲルに愛の呪縛をかけられるラストで締め括られる。

 

 シト新生DEATH編のエンドロールでは、「パッヘルベルのカノン」が流れる。それぞれのキャラクターが楽器を弾き、最後には美しい旋律となる。私はこの曲を聴くと、どうしてもシンジとカヲルを思い出す。それはエヴァにかけられた呪いである。

 

 

 

 「あげくの果てのカノン」のラスト、先輩は修繕で記憶を殆ど失っている。初穂はそれに気付き、自分の初恋に終わりを告げようとする。

 その時「パッヘルベルのカノン」が流れる。互いが出会い、認識し合った時のあの曲が。

瞬時に二人の記憶が目覚め、共有する。初穂は先輩の表情の変化を見逃さなかった。

 

 90年代後半に縛られている者にとって、「パッヘルベルのカノン」は記憶のトリガーである。それは呪縛であり、呪いである。